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    松井秀喜:「結果振るわなかった」NYで現役引退会見

    松井秀喜:「結果振るわなかった」NYで現役引退会見

    巨人や米大リーグ・ヤンキースなどで活躍し「ゴジラ」の愛称で親しまれた松井秀喜外野手(38)が27日夕(日本時間28日朝)、ニューヨーク市内のホテルで記者会見し、現役引退を表明した。松井は引退理由について「今季はチャンスをもらいながら結果が振るわなかった。クリーンアップでも出させていただいたが、結果が振るわなかった。そのことが一番大きな要因だと思う」と述べ、今後の去就については「ここで少しゆっくりして考えたい」と話した。


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     会見の冒頭、松井は「20年間に及ぶプロ野球人生に区切りをつけたいと思い、応援してくださった皆様、報道関係の皆様に感謝の気持ちを伝えたいと思い、会見を開かせていただきました」とあいさつ。自らの野球人生について「北陸の小さな町で生まれ育ち、甲子園に出るという目標も達成することができた」と振り返った上で、米国でのプレーについて「メジャーに挑戦するときは命がけでプレーし、自分の力を発揮するという気持ちでやってきた」と述べた。

     また、巨人時代に指導を受けた当時の長嶋茂雄監督について、「日々指導していただき、その後の野球人生の礎になった。感謝してもし尽くせないという気持ちでいっぱい」と話した。

    毎日新聞 2012年12月28日 07時26分

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    松井秀喜:28日引退会見へ メジャー球団から正式オファーなし

     レイズからFAとなっていた松井秀喜外野手(38)が現役引退を決意し、27日(日本時間28日)にニューヨーク市内で記者会見を開くことが、26日(同27日)分かった。古巣・巨人も動向を注視する中で、メジャー復帰への道を探していたが、具体的なオファーはここまで届かず、プロ20年間の現役生活にピリオドを打つ。日米通算507本塁打をマークし、ゴジラの愛称で親しまれた希代のスラッガーがついにユニホームを脱ぐ。

     豪快なアーチでファンを魅了し続けてきた松井が、ついにバットを置く決断を下した。

     20年目の今季は最も過酷なシーズンとなった。11年オフにアスレチックスからFAとなったが、開幕を過ぎてもオファーは届かなかった。レイズとマイナー契約を結び、入団会見を行ったのは5月1日。「ただプレーがしたい。野球がしたいだけ」。不退転の気持ちを語ったが34試合で打率・147、2本塁打、7打点。7月25日に戦力外通告を受けた。

     代理人を務めるアーン・テレム氏も現役続行に向けて、メジャー球団と交渉を続けたが、吉報は舞い込まなかった。恩師の巨人・長嶋茂雄終身名誉監督からは何度も日本球界復帰を勧められたが、その場合は巨人が最有力となる。故障を抱える両膝を考えれば、DH制がなく人工芝の本拠地・東京ドームでフル出場は難しい。10月になると「いらないと言われれば、それまで。悔いはない。できる限りのことをやってきたつもり」と引退の覚悟を口にした。父・昌雄さん(70)も「彼の置かれている状況からすれば(メジャー契約は)現実的に非常に厳しい。(引退しても)私自身は驚かない」と話した。

     92年夏の甲子園、星稜の4番は明徳義塾戦で伝説の5打席連続敬遠。悲劇のヒーローとして日本中から同情されたが、巨人の入団会見では「ファンに夢を与えるプレーヤーになりたい」と自らの力で本物のヒーローになった。本塁打王に3度輝き、MVPも3度受賞した。02年は自身初の年間50本塁打をマークし、巨人時代の10年間で332本塁打。日本最強打者の称号を得た。

     同年オフ、夢だったメジャー挑戦に踏み切った。「裏切り者と思われるかもしれません」「命を懸けて頑張りたい」と、会見で悲壮な決意を表明。ヤンキース移籍後も信念を持ってプレーした。04年には31本塁打。メジャーで日本人初の大台に到達した。06年には左手首、07年に右膝、08年に左膝を手術したが、リハビリで乗り越えて09年にはワールドシリーズMVPに輝き、念願の世界一もかなえた。

     昨季まで背負い続けた背番号55。王貞治のプロ野球年間最多55本塁打の更新を託されたが、これを果たすことはできなかった。ただ、勝負強さや勝利にこだわるチーム打撃、野球に対する真摯(しんし)な姿勢は国境など関係なく世界中のファンに愛された。多くの日本人選手が海を渡る時代となったが、長距離打者として認められたのは松井一人だけ。記録にも記憶にも残る男だった。

     ◆松井 秀喜(まつい・ひでき)1974年(昭49)6月12日、石川県生まれの38歳。星稜から92年ドラフト1位で巨人入団。主砲として4度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献。02年オフにFAでヤンキース移籍。09年はワールドシリーズMVPに輝いた。その後はエンゼルス、アスレチックスを経て今季はレイズに所属。1メートル88、102キロ。右投げ左打ち。

     【松井のこれまで】

     ▼2・22 去就が決まらないまま再渡米。

     ▼5・1 レイズとマイナー契約を結び、入団会見。「ただプレーがしたい。野球がしたいだけ」

     ▼5・9 マイナーの練習試合で224日ぶりの実戦出場。

     ▼5・28 メジャー昇格が決定。翌29日のホワイトソックス戦に「6番・左翼」で先発し、4回に1号2ラン。

     ▼7・2 ヤンキース戦の守備中に左太腿裏の張りを訴えて途中交代。

     ▼7・22 マリナーズ戦の9回2死一、二塁のサヨナラ機で代打起用されるも凡退。結果的に今季最後の打席となった。

     ▼7・25 メジャー40人枠から外され、事実上の戦力外通告を受ける。

     ▼8・1 レイズから自由契約になる。

     ▼11・15 アストロズのジム・クレイン・オーナーが松井を獲得候補に挙げていることを明かす。(日付は全て現地時間)(スポニチ)

    2012年12月28日

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    ゴジラの松井が現役引退。
    38歳という年齢では日本のプロ野球界ではまだまだ現役であってもおかしくない。
    実際に巨人・長嶋茂雄終身名誉監督からは何度も選手としての日本球界復帰を勧められたが、最終的に断っている。
    日本球界としては、次に目を付けるのは指導員としての活躍だろう。
    そうなると、やはり、古巣の読売巨人軍が一番先に動くだろう。
    「野球が好きという思いは一生変わらない」という松井の言葉から、今後も野球界で活躍してくれるだろう。
    ひとまずは、お疲れ様。


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    テーマ : プロ野球
    ジャンル : スポーツ

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    非公開コメント

    No title

    彼の様な偉大なバッターは当分現れないでしょうね。

    Re: No title

    そうですね。いろいろな意味で偉大な選手です。
    ファンへの気遣いや関係者への配慮など、誰も悪く言う人はいないという、人格的にも偉大です。
    上原選手も号泣してましたし。


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